横田不動産株式会社

姫路城薪能の篝火台は明珍敬三氏より寄贈されたものです。

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姫路城薪能の篝火台は明珍敬三氏より寄贈されたものです。

姫路城薪能の篝火台は明珍敬三氏より寄贈されたものです。

2024/05/22

明珍家の歴史。

 明珍火箸(みょうちんひばし)は、兵庫県姫路市において19世紀頃に始まった伝統工芸品です。
 元々は甲冑師の一族である明珍家が、姫路藩主である酒井家に仕えながらその技術を活かして作り始めました。火箸の型は20種類程あり、現在代表的なものはツクシ型、ツヅミ型、ワラビ型、カワクギ型の4種類です。
 火箸の需要が落ちた現在では、風鈴が作られており、その音に魅了された作曲家には冨田勲とスティーヴィー・ワンダーがいます。 
   明珍家は平安時代から続く家系で、現当主は53代目となる明珍宗敬です。もともとは甲冑師の一族で、12世紀半ばに近衛天皇に鎧と轡を献上し、天皇より「明珍」の名を賜りました。江戸時代には幕府大老酒井家のお抱え甲冑師となり、酒井家の転封に従い姫路に定住しました。
  明治時代に入り甲冑の需要がなくなると、48代明珍百翁宗之は火箸作りを生業にし、天下の明珍火箸の名を馳せました。しかし、戦争中の金属回収令などで原料の鉄が入手できず、鍛冶道具まで供出させられるなどの危機が訪れました。
 この危機を乗り切るため、52代明珍宗理氏は火箸が触れ合う時の音を何かに活かしたいと試行錯誤を重ね、昭和40年に「明珍火箸風鈴」が誕生しました。  
 現在は、明珍敬三さんが53代目・明珍宗敬を襲名し、手技を生かし硬い鉄を操り、火箸や風鈴などの製品を作り続けています。新しい素材としてチタンも使用し、新たな製品にも取り組んでいます。
 明珍火箸は兵庫県指定伝統工芸品に指定されており、その歴史と技術は日本の文化遺産として大切にされています。
 ちなみに横田家は勝原の田舎の鍛冶屋でした。私が受け継いでいれば6代目でしたが、農具の鍛冶屋では生活は厳しいものでしたが、私の幼少きは、毎朝おきるとトントンと父親と祖父の二人が打つ金槌の音が響いていました。
 懐かしい思い出です。

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